HAGISO

グループ展「水晶体が何かにむけて動き続ける」

開催日時:2013年 9/4(水) - 9/16(月)

 

グループ展「水晶体が何かにむけて動き続ける」

渡邉庸平 / 郷治竜之介 / 草野温子
キュレーション 飯岡陸

2013年9月4日(水)- 9月16日(月・祝)

12:00 – 21:00 月曜休[10日(火)は臨時休業]

【アーティストトーク】
9月16日(月・祝)
18:00 – 21:00
クロージングパーティーも同時開催
※予約不要

このたびHAGI ARTでは、飯岡陸キュレーションによる、渡邉庸平、郷治竜之介、草野温子による企画展を開催いたします。
飯岡は3人の作品 について、ビジュアルで鑑賞されるものとしてより、身体的に目から知覚されるもの、として制作しているように捉えています。
そこに目というものを、映像 を捉えるだけの機能以上に、頭部に空いたふたつの穴のような感覚器官として、つまり手や足のように、より身体的に捉えている意識があるようにみているのです。
この傾向を3人を括るものとして絵画、立体、映像から展示を構成いたします。

 

【作家プロフィール】

渡邉庸平
1990年生まれ。現在東京芸術大学絵画科油画専攻在籍。
主なグループ展に〈サンダーボルト〉2012

郷治竜之介
1988年生まれ。2013年東京芸術大学絵画科油画専攻卒業。
主なグループ展に〈丸の内アートアワード東京(松井冬子賞)〉2013,
〈スチューデントナイトvol.7 blanClass〉2012 ,〈姫の旅出〉2011

草野温子
1991年生まれ。2013年多摩美術大学絵画科油画専攻卒業。現在東京芸術大学美術大学院先端芸術表現専攻在籍。
主なグループ展に〈多摩美術大学卒業制作展(福沢一朗賞)〉2013〈POOL〉2011

飯岡陸
1992年生まれ。現在東京芸術大学絵画科油画専攻在籍。
企画した展覧会に〈戦車の中を想像する〉2012,参加したグループ展に〈サンダーボルト〉2012

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渡邉庸平は映像作品を中心に制作活動を行っている。作品の軸となっているのは、複数の質感を繋ぎ合わせる コラージュ的な行為である。ここにおける質感とは、スピーカーやモニターを通して感じることができるようなもの、つまり触覚に限定されない質感である。そ うした質感を伴って彼により扱われる題材は、恋人や友人などの親しい人との私的な関係を感じさせるものが多い。しかしそれらは直接言及されることはなく、 私たちはその影を垣間見るのみである。

郷治竜之介は絵画を制作する。熱帯林などの植物、人物などを題材とすることが多いが、今回は山肌を 描いたシリーズを出品する。彼は制作において2種類の認識状態を意識していると言う。一方は、脳がものをイメージとして認識する以前に、情報が光として眼 球に入ってきた瞬間の状態。もう一方は眼球がものを凝視したときの、ものをイメージとして認識できなくなった状態である。

草野温子は鏡面 によって構成された幾何学形態の立体作品を出品する。作品から読みとれる要素は一見、反射や反転など科学現象を想起させる。しかし、鏡というモチーフは古 典絵画では欲望やナルシシズムなどのを象徴するものとして扱われる。また、鏡を世界のこちら側と向こう側を分断するものとして、現実と神秘的な現象を隔て るものとする考えは世界中で多く見受けられる。そうした人間の欲望を象徴するものとしての鏡と、科学現象をおこすものとしての鏡を重ね合わせることが作者 によって意図されている。

もちろん彼らの扱う主題や題材、手法は異なります。しかし彼らは作品が視覚から認識されるということに意識的と いう意味では、同じ起点を持っているようにもみえます。美術はコンセプチュアルアート誕生以後、領域を視覚的な形態の外に広げることになるのですが、未だ 作品の価値判断が作品のイメージに束縛されてしまうことは自明であるかと思われます。むしろ自明すぎるが故に、視覚についての意識は、美術作家であったと したら誰しもが無意識に持つことでしょう。しかし彼らは自作品について、ビジュアルで鑑賞されるものとしてより、身体的に目から知覚されるもの、として制 作しているようにみえます。そこには目というものを、映像を捉えるだけの機能以上に、頭部に空いたふたつの穴のような感覚器官として、つまり手や足のよう に、より身体的に捉えている意識があるようにみえます。こうした想起は、数多くの美術家の中から彼らをひとつの傾向で括ることを可能にするものです。

この展示ではこういった「身体の一部である視覚器官」から作品が知覚されることを中心に考察します。「身体の一部である視覚器官」から作品が知覚されると いうことはどの作者の主題でもありません。しかし、これを彼らを繋ぐ一つの軸として設定することで、三者の共通する要素や相違点が明確になり、作品が鑑賞 者に対しより豊かに示唆を与え、鑑賞者にとって多様な解釈を可能にするのではないでしょうか。

(飯岡陸)